2007年02月15日

となりのトトロ

となりのトトロ【1988年 日本】

監督:
宮崎駿

音楽:
久石譲

キャスト:
サツキ --日高のり子
メイ --坂本千夏
とうさん --糸井重里
かあさん --島本須美
ばあちゃん --北林谷栄
カンタ --雨笠利幸

彼是15年以上も昔の話だ。

山手線の恵比寿駅徒歩5分の場所にある高級マンションが僕らの溜り場だった頃の物語。家賃が22万して玄関に身なりの整った眼光鋭いガードマンが監視している4DKの新築部屋は、援助交際がバレて親に殴られて、そのまんま飛び出したきり北海道には帰っていない眞理子が家主だった。

六本木でホステスをして稼いでいる眞理子は、店のナンバーワンというだけあり、月70万を稼ぐ21歳の色白の女の子で、ブラックライトで光る特殊な刺青をしている極度の中毒者だった。

家賃はパトロンである不動産屋を経営している中年男性が資金を出していると呟いていた。

けど、誰もその姿を見たことがなかった。

眞理子は、10ヶ月の間に2回リストカットして救急病院に運ばれた。僕や僕の周りの連中も同じぐらい退廃してどうしようもない連中だったけど、彼女は群を抜いて酷かった。

つまり、シラフと泥酔している場合の感情の差が激しくて、性的に開放的過ぎてそれでいて寂しがり屋で、激情する度合いの幅が全てにおいて他人を引き離していた。

どうしてこんな奴が客商売出来るのだろうかと疑問だったので、一度本人に訊ねてみたら、眞理子はくだらないこと聞かないでよという表情をして「これに決まっているじゃん」と鼻の下を擦る仕草をし、目くばせした。つまり仕事前に吸引してしのいでいたのである。そういうタイプの女だった。

退廃的な生活が当たり前のこの恵比寿のマンションに思想もなければ理想もなかったし、遊び方や金の遣い方がまるで異なるので、高校時代の友人達と疎遠になったが、それでも僕はここであるひとつの大切な事実を学んだような気がする。きっと眞理子に出会わなかったら決して悟ることがなかっただろう。

いかに人間というのは脆いか、僕は痛烈なまでにそれを考えさせられた。

自我が崩壊して、現実と幻覚の狭間で潰れそうになると、人は自分が死んでいないかどうかを確かめるために、己の肉体を傷つけると、最初に身をもって僕に教えたのは眞理子だった。僕らはその種類の行為の原因を自分のせいにするには世の中を知らなすぎて、他人のせいにするほどの厚顔さは身に着けていなかった。

強力な幻覚作用が僕らの存在を消そうとしていると勘ぐりが始まると、自傷行為をするしか方法がなかった。血を流すことによって自身の存在を再確認するのである。

人間というのは脆い、この時知った。

そして、部屋の片隅にある大きな観葉植物の陰で乳房を露にした格好で体育座りをし、どんな音も聴こえないのに耳を押さえる眞理子をなだめる行為が日常の延長になると、我々自身はますます行く末を失った。

*
*

ある晩、由香という仲間内のホステスが提案した「この映画、誰も死なないから」という理由だけで僕らはビデオデッキに「となりのトトロ」を突っ込んで流した。意識が自己の内面に集中しすぎ、パラノイアに陥るのを何とか防ごうとしたのだ。

成り行きで流したはずの「となりのトトロ」の効果は絶大だった。

映画のおかげで僕らは分裂症に陥って洗面器で溺死するのを防ぎ、それから毎晩ビデオデッキで映画を再生した。

*
*

サツキとメイが登場する、この昭和の平穏な田舎風景を映したアニメーションが、僕らを現実に引き止めていたんだと気づいたのは、もう何年も眞理子たちと遊ばなくなって久しく経った頃だった。

僕は27歳で何とか社会復帰して、普通の生活を営むよう努力していた。ある日、テレビ放映の「となりのトトロ」を観ていたら、記憶の奥底で閉ざされていた映像が突然と脳裏に浮かんだ。

月明かりが差し込む夏の晩、パジャマ姿でトトロと遊ぶ2人の向こう側に、ガタガタ震える眞理子が現われて、そしてほんの一瞬だけ、目に涙を浮かべた眞理子が微笑んで消えた。

僕はリモコンを握ったまましばらく動くことができなかった。

浮かんできた眞理子はあまりにも鮮明で、そして切なかったからである。

続いて、眞理子が「北海道にはね、アイヌに伝わるコロボックルという小人が住んでいて眞理子は小さい時に、本当にその小人に会ったことがあるんだよ」と話して微笑んでいたのを想い出した。

僕らはそんな眞理子の戯言を真剣に取り合わなかったけれど、彼女の屈託のない笑顔は、つかみようがない酷い不安に怯えた僕らを安心させることができた。

もしかしたら本当に眞理子はコロボックルに会ったことがあるのかもしれない、そんなこと思ったら次第に感傷的になった。

その夜、僕は最後まで映画を観なかった。その代わりに自分が分からなくなるほど酒を呑んで泥酔した。

*
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コロボックルには「竪穴に住む人」という意味があるという。
親御さんに引き取られるという結末で札幌に帰った眞理子がどうしているのか誰も知らない。

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投稿者 ko : 2007年02月15日 19:19 | トラックバック(0)
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