2006年03月17日

釜山への船路

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2003年の2月に、山口県の下関からフェリーで韓国の釜山(プサン)まで渡った。

西日本の、とりわけ北九州地方一帯からの海外へのアクセスとしては、非常に馴染み深いこのルートも東日本出身の自分にとっては新鮮そのもので、沖縄から船で台湾に行くのと同じくらい、かつてから夢見た旅のルートだった。

仕事の関係で北九州地方に長らく滞在していたので、仕事を除けば、その滞在自体が旅のようなものだったわけだけれども、鹿児島本線で数十分で到着できる下関から韓国に行くことを達成するというのは魅力的すぎるプランだったのだ。

船は毎日出港しているし、19時に下関を出発する関釜フェリーだったら翌朝の8時過ぎには釜山に到着する。

船の中には大浴場も設備としてある。

往路で9,000円、復路で8,100円。合計金額17,100円。

こういうのをロマンと呼ばずして何をロマンとするのだろう?

フェリー乗り場は下関駅から徒歩5分程度のところにある。

煌びやかとまでは言い難いけれども、さすがに外国と結ばれている船着場だ。

収容力もそれなりで、バングラディッシュのダッカにある一番の高級ホテルぐらいの赴きと威厳を持って聳え立ってる。その日は平日にも関わらずフェリーを待つ人はたくさんいたので驚いた。大量の荷物を背負っている韓国人のお婆ちゃんや中年のおばさんがほとんどで、そこらじゅうからキムチの匂いが溢れていて、もうすでに韓国のような雰囲気である。

船は品川から伊豆七島にむけて乗る東海汽船とほとんど変わりがない。

前述したように、この船には大浴場がある。どうもこれは日本と韓国の血塗られた渋い歴史を垢といっしょに流してしまおうという政府側の魂胆をフェリー会社が受諾したことに始まるらしい。

というのは冗談だけれども、とにかく日韓両方の旅人が巨大なフェリーでお湯に浸かってのんびりできるうれしいサービスだ。

隣の国の見かけは殆ど同じ種族なのに、入浴という習慣をひとつとっても似ているところもあればまるで似ていないところもあるのが面白い。

まあ、もっとも、僕が韓国に行った日は時化の強い日だったようで、波乗りをしているかのようにお湯がザッパンザッパンと揺さぶっていたので、のんびりするどころじゃなかったわけだが。

ついでながら船の施設について触れると、船の中には食堂やカラオケ施設もある。

食堂のメニューは日本食と韓国食の両方があって、カツ丼定食1,000円とかキムチチゲ定食900円とかである。

最後の晩餐的な日本食を堪能するのもいいだろうし、早速韓国料理に舌鼓を打つのも良いってわけだ。味はそれなり。この食事が食べたいためにわざわざフェリーで韓国までに行くんですよっていう人はたぶん10億人に1人もいないだろうが、無かったら不便極まりない、そんな食堂だ。

そうこうしているうちに船はゆっくりと韓国に向けて出発する。

周りでは無料サービスのお湯を使って韓国の激辛ラーメン〝辛ラーメン〟を食べている連中もいる。鼾を掻いているのもいれば、カードゲームで賭博をしているのもいる。

とにかく船は無事に出航する。

さて、突然だけれども、皆さんは<船酔い>たるものを経験したことはあるだろうか。

僕は何度か船旅を少ないながらもしたことがあるんだけれども、船酔いだけはどんだけ体調が悪くても患うことはなかったし、ましてや、この俺が船酔いなんてするわけないじゃないかぐらいまでタカをくくってきていた。僕を船旅に向ける何事にも変えがたい原動力だったし、案ずることはないという旅の開放感にも繋がっていた。

それがなによりも船旅における絶対的神話だったのだ。

釜山へフェリーで行く前までは。

船酔いというのは無間地獄のスパイラルだ。

決して逃げることはできない。

一度三半規管が狂ったら降りるまで狂ったままだ。

頭がグルグルして、もはや吐くものが無いとしても許されない。僕自身は元々の体質なのかお酒を飲みすぎて気持ち悪くなっても吐けないので、ただひたすら苦しみを味わうだけだった。

トンカツをたらふく食べた後に、マーガリン一箱とオリーブオイル一瓶をミキサーに掛けて攪拌したリッターのジュースを一気して、富士急ハイランドでジェットコースターを梯子したあとに、ボディブローを食らい、鼻から豆乳を吸い込むような気分を想像してほしい。

しかも船の中はキムチくさい。

ニンニクと唐辛子を混ぜ合わせた香りが次から次へと鼻を通じて自分の中で充満していく。

もし俺が差別主義者だったらいまごろ心もとない台詞でコイツらを罵倒しているだろうなと思うほどに。

幸か不幸か僕は差別主義者ではなく、寧ろその対極にありたいと日々願う人間だったので、呪詛をぶちまけることはなかったが、そのかわりに朝の8時までのたうちまわる事になった。

船酔いの洗礼はあまりにも容赦の無い施しだったのだ。

さて、朝の8時。

釜山に着いた僕は魚介類の屋台が豊富なチャガルチ市場の近くにある安宿に飛び込んだ。

道一杯に茣蓙を引いた韓国人がその日獲れた魚を並べて売っていたり、市場の中には食堂とかもある。見ごたえのある活気がいい市場の端にある安宿だ。

しかし、この日の僕はどうやら船酔いだけではなく熱もあるようだった。

船の中で湯冷めして完全に体調を崩したらしい。

レセプションだけが英語が通じるのが救いで(韓国語はアニョハセヨぐらいしか分からない)、しかもオンドルという韓国の伝統的な床暖房がある宿だったので、フラフラな姿で荷物を紐解いて、宿の従業員に体温計を借りて倒れた。

熱は39度あった。辺りでは賑やかにハングル語で何かを言っている。市場の喧騒がここまで伝わってくる。

「・・・・ハセヨ?」

部屋でひっくり返っている僕を見て、従業員が心配して訊ねてくるけれども、僕には彼のハングル語が分からない。

レセプション以外は英語が通じないのだ。

記憶が朦朧としている。でもたしか宿の目の前は薬局だったはずだ。

何とかそこで解熱剤を手に入れなければならない。
食事もとらなくてはならない。

キムチの匂いはもうたくさんだ。

でもその前に僕の身体は睡眠を求めている。
僕にはそれがはっきりと感じられる。

優しい従業員にもお礼をいわなくちゃいけない。
「体温計、ありがとう。ちょっと熱があるみたいだけれど、寝れば大丈夫だよ」と。

身体がいうことをきかなくて動けない。

突然、人気の無い公園で猫が一匹だけ毛繕いしている映像が頭の中を流れた。

意識が混濁している。

猫はニャァニャアと鳴いていて、なぜか僕はその猫に怯えている。

口をあけた猫の顔が笑っているように見えるのだ。

そして毛繕いを繰り返すごとに猫がどんどんと小さくなっていく。

キムチの匂いはもうたくさんだ。

「ありがとう」

もう一度猫が「ニャー」と鳴いて映像が途切れた。

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投稿者 ko : 2006年03月17日 19:19 | トラックバック(0)
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