2005年11月16日

ALWAYS三丁目の夕日

ALWAYS三丁目の夕日【2005年 日本】

監督:
山崎貴

原作:
西岸良平

キャスト:
茶川竜之介 --吉岡秀隆
古川淳之介 --須賀健太
石崎ヒロミ --小雪
鈴木則文 --堤真一
鈴木トモエ --薬師丸ひろ子
鈴木一平 --小清水一揮
星野六子 --堀北真希


「ビッグコミックオリジナル」で今も連載を続けている、昭和49年に始まった西岸良平のベストセラー漫画「三丁目の夕日」の映画版「ALWAYS 三丁目の夕日」。

やさしいタッチで昭和30年代の頃を描いた同作品は、熱狂的なファンが多く、恐らくはその殆どが『この原作を映画に描ききれるわけがないじゃないか』と毒づき、逆にいえばそれほど西岸氏に敬意を払ったわけだけれど、ある意味、映像化がもっとも困難であると言わしめたこの作品を、「ジュブナイル」「リターナー」でVFX(Visual Effects、視覚効果)という言葉を日本でメジャーにした山崎貴が監督を担当し、見事に成功させた。

昭和33年。

高度経済成長期を迎えようとする熱気を孕んだ東京では、建設中の東京タワーが着々とその高さを天に向けて伸ばしていた。そのタワーがよく臨める東京の下町で繰り広げられる個性豊かな住民の生活。

口が悪いけれど、ほんとは優しい鈴木オートの主人とその家族の元にやってきたのは東北から集団就職で上京してきた六子。

六子が家族に加わったことでさらに元気で予断のないドタバタほのぼのした毎日を送る鈴木家。

その鈴木オートの向かいがわに住むのが通称〝文学〟の茶川竜之介。毎月凝りもせずに文学賞に作品を送るもの、ことごとく落選する失望の毎日。竜之介は駄菓子屋を営んでいる。

その駄菓子屋に身寄りのない少年の淳之介がやってきて・・・。

昭和30年代というと、西暦で換算すると1955~65年である。

映画「スタンド・バイ・ミー」や「アメリカングラフィティ」などベトナム戦争前の古き良きアメリカンフィフティーズ、シックスティーズの時代だ。

アメリカのハリウッドにも同じような懐古主義的な題材の映画があるのが興味深い。

多くのアメリカ人がベトナム戦争で傷つき失望したという側面を考えると、そのバック トゥ フィフティーズ、シックスティーズにも頷ける部分があるけれど、終戦時代の世に蔓延する失望感、そしてその後の大変貌に比べるとアメリカのそれは生半可にしかすぎない、というのが僕の考えだ。

日本の50年代60年代に共通するメッセージは、未来に向けての大きな希望だ。アメリカのそれは古き良き時代にしか過ぎない。

こういった断定は危険だけれど、未来に向けての希望を抱いた米国民はキング牧師の台頭によって勇気を持った黒人達だけではないだろうか。いずれにせよ、同時代的な考察からでは、日米では、そのポテンシャルが異なる気がする。

さて、その当時を描いた「ALWAYS三丁目の夕日」、日本では、東京タワーが建設中で経済成長を夢見て庶民が懸命に頑張っている。街角では人が溢れ、隣近所と時には喧嘩して時には協力して過ごす日々。

CGとは思えないほどリアルな臨場感のある昭和30年代の光景がスクリーンに映し出されて、そのあまりにも忠実な再現シーンだけで涙を流したという観客が居るのも頷ける。本当に当時の街並みの光景なのだ。

淳之介と竜之介が徐々に本当の親子のように仲良くなっていく姿に涙が出るし、六子を迎える鈴木オートの家族の思いやりに感動する。後半部分は出演者のそれぞれの惜別シーンや感情の昂ぶりがスクリーンから伝わって、ひたすら泣き通しだ。ただの懐かしさで済む映画ではないのは確かである。

きっと我々は、その当時に当たり前に手に入れられたものを、今、手に入れる為には、途方もない労力や、それなりの代価・代償を払わなくてはならないのだろう。

どこの街角でも転がっていた人情にそして懐の深さのような器量、街が一体となる包容力を見つけるのには困難な時代であるようだ。

あるいは当時は誰もが望んでも手に入らなかったモノが今では少しの努力さえすればたやすく入手できるのかもしれない。

それはソフトな面である〝目に見えないなにか〟であるし、〝目に見えるなにか〟であるハードな面だ。

もちろんこの話の結びにはどちらが正しくてどちらが正しくないという二極論的な結末を迎えることはない。

そういったステレオタイプの結論に深みがないし、危険すら付き纏おう。

この映画の根底に流れる一連のテーマを、恐らくは観客の多くが羨ましく感じたという点が重要だし、そしてそれは薄々は気がついているのだけれども(でも決して口には出来ない)もう本当に何処に行けども見つからないという寂寥感を掴むことが重要なのだ。

それでもこの作品を観終えた後は何故かしら温かい気持ちになる。映画を観終えた後、映画館から外に出た灯り溢れる21世紀の都会の風景が酷く残酷に映った。

「となりのトトロ」のように普遍的な作品として昇華している。DVD化された暁には高頻度で観賞することとなるだろう。

感動度★★★★★

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投稿者 ko : 2005年11月16日 19:19 | トラックバック(0)
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