人という生き物は賢いのか賢くないのかいざ知らず、とりあえず言葉を通じてコミュニケーションを図れることができる動物だ。たとえその言葉が場違いで見当違いだとしても。
言葉というのは無力だと某新聞の広告じゃないが、それはしょうがない。そんなシーンだってある。
*
*
都立※☆◎高校。
僕が通っていた高校は、入学したての頃はみんなそこそこの頭脳だったのに、卒業する時はかなりの馬鹿に仕上がるという学歴社会にまるで同調していない高校だった。
過去を懐かしむとか、自分を特別視とか、決しておおげさな表現ではなくて、アメリカンミュージックの言葉を借りれば、求める求めないにかかわらず、セクース・ドラァーッゴ・ロケンロールのお得なセットがリアルにばっちり揃っている高校だった。校長は入学式の時に「我が校には進学を阻害する3つのBがある。バイク・バイト・バンドの3つです。みなさん気をつけてください」と言ったが、残念なことに我々が気をつけなくちゃいけないことは、ほかにもたくさんあった。
制服が無ければ校則も無い。それに加えて肝心な脳味噌が見当たらない最果ての楽園だった。
見知らぬおばさんのキャッシュカードを盗み使ってATMから現金を引き出したおかげで、学校に私服デカがやってきたり、校舎から離れている部室では独特の鉢植えがすくすくと育つかと思えば、ある朝学校を訪れると理科室の引き出し全部にウンコがつまっている怪奇現象が生じる。
23歳と年齢を偽って某ハコで回している1学年先輩がジャックするお昼の校内放送~ハウスバージョン~は毎日流れ、キャバクラバイトに明け暮れて教師より金回りが良い女子、パンツの販売に夢中なコギャル、熱心な保健体育の授業を勝手に開催してくれる22歳の保健室のお姉さん(のちにクビになる)、夜中にハメまくっていたカップルが次々と発見されたせいで10年近く修学旅行が再開のめどが立たずと、そんな感じだった。
当然、ノータリン高校に3年間通学したところで、裏金を用意しない限りは希望の大学には入学できないわけだから、進学を目指す者はみな玉砕して浪人生となり世に放たれた。
*
*
高校卒業後の4月、僕らはみんな河合塾@千駄ヶ谷に通った。いまも昔も大して変わらないように、予備校といえば代ゼミと河合と駿台が三大予備校で、僕らの高校はなぜか河合塾に集中した。
しかし、3年間に蓄積された習性というのは恐ろしい。ここで心機一転し、襟を正して勉強に勤しむと思いきや、そんなことは微塵ほどで、僕らが懸命になった方面は主に現役女子高生との思い出作りだった。
日の出女子、渋谷女子、品川女子に実践、東洋英和エトセトラと、模試ではお寒い結果でもコッチ方面の偏差値は高いスコアをたたき出した。
その僕らの高校の同級生の一人に、鬼なのか馬鹿なのかコイツは?という N島君という男がいて、彼は本当は猿が洋服着ているだけなんじゃないかと心配する声があがったほどのチン オブ ヤリで、勉強しないくせに自習室の帝王だった。
彼が手をだした高校3年生の女子だけで1クラス編成できるわけなんだけれど、そのうちに<制服の丈はミリ単位で短くて、ガンダムに登場するドムみたいなルーズソックスを履いているマン オブ ヤリにみえて、本当はウブだった桐蔭女子のコ>がいた。
顔立ちはそんなにクッキリな部類じゃなく、どちらかというと化粧だけが派手なY子に<大人の世界>と<生命の神秘>をみっちり叩きこんでしまったN島君は、案の定、自習室に行けばY子がくっついてきて、中庭に行けばY子が先に待っているという予備校おしどり夫婦の道を一歩ずつ歩みそうな勢いだった。
もちろん、モンキーマジックなN島君はそのようなシチュエーションを小指の爪の垢ほど望んじゃいない、なにしろY子のクラスメイトが巨乳であるのを知った段階で、「いっただきまーす」と言いたくて目尻をさげる人物なのである。
2ヶ月ばかしこのような綱渡り的な予備校生活に異議申し立てを起こしたのはY子が先だった。
女子の勘は鋭いというか、これで気がつかなきゃ相当のマヌケだったか、とにかくY子はN島君は本当は私のことを好きじゃない、それどころか他にもオンナがいるし、事実、股が何本も掛けられている!と分かり始めた。
こういうときの女子というのは、白黒ハッキリつけることに関して言えば天下一で、秋空が冬に移ろいを変えようとしている某日の予備校の中庭で、夕方18時半から突然の公開式証人喚問がはじまった。
「最近、なんか冷たいじゃん。どうしたの。なんかあった?」と新妻風に問いただすY子がリードするにこやかムードで進んでいた尋問も、N島陣営の「いや、べつに日本史にしようか世界史にしようか迷って」とか「そんなんじゃないよ。最近勉強に身が入ってさ」と、あてずっぽう&いまさらな回答がオンパレードになるにつれて、だんだんと殺伐とした雰囲気になってきた。
こんな面白いイベントが、そんなに転がっているわけでもないので、僕らは彼らを刺激しないように50メートルぐらい離れたベンチに座って一挙一動を観察していた。
小さい声だと聞き取れないんだけれど、エスカレートし始めたY子の声は誰にでもヒアリングできた。
「じゃあ、なに?好きでもないのに私とやったわけ?私、あなたが初めてだったのよ!」とか「そうやって他の高校生も同じように喰ってたんだね。へー、それって遊ばれたっていうこと?」と予備校内の会話としては痛すぎる17歳女子の声が響き渡った。
N島君は完全にしな垂れているだけで何も言い返せなそうだった。
「私と別れるのね?遊びだったのか本気だったのかそれだけでも教えてよ」
罵詈雑言を浴びせきったあとに、ついにY子がパンドラの箱を開けた!
婚姻済みの男女だったら<離婚届け>登場というシーンである。
こういう場合、追い詰められた男というのは、なんて答えるのだろう。ソッチ方面では経験不足なだけに僕らまでもがドキドキした。
ところが、Y子の目が真っ赤に腫れているにも関わらず「うん。遊び」とN島君が答えた。
最強である。
間髪いれずに、昼ドラのごとくY子は持っているカップに入ったコーラをN島君の頭からぶっかけた。
僕らはさすがにのけぞり「うわ、ほんとうにジュースを掛けられるシーンを見たね」と一気に昂奮冷めやまぬ雰囲気になった。
N島君は日本シリーズに優勝した野球選手とそっくりな状態にすっかり変貌を遂げた。彼自慢のアニエスだかビームスだかの真っ白いボタンダウンのシャツが茶色く染まっている。
ブチ切れるのか?謝るのか?中庭で固唾をのんでいた聴衆が耳をかっぽじって傾け、動向を見守っていたら、N島君がしずくを前髪から振り払い、ついにその固く結ばれた口を開いた。
「おっ、おい、これ、コーラかよ!?」
N島君、もうちょっとほかに言うべきことがあるのでは・・・。
満場一致の緩い空気が一気に流れた。
N島君にとって、飲み物を頭から掛けられた行為が問題ではなかった。
頭からかぶっている液体の種類について異論を唱えたのである。
さすがというか、なんというか目のつけどころがシャープすぎて、こっちまでどうかしてしまいそうである。
「ヤリチン馬鹿!」
Y子はもう一度コーラを掛けた。
僕はあとにも先にもいろいろな人のさまざまなダークサイドの話を聞いたけれど、17歳たらずの小娘にヤリチンと蔑まされ飲み物を頭から浴びたという人物は彼しか知らない。
溜飲がさがったのか、気まずい空気に耐え切れなかったのか、Y子は泣きながら中庭からダッシュしてしまった。その日以降、Y子はもう河合塾には戻らなかった。
予備校卒業後の噂によるときちんとした家庭教師を雇って大学受験をしたらしい。
一方、N島君は「コーラってやっぱりベトベトするね」とまったく懲りる様子もなく、翌日以降も自習室の帝王を死守し、股をかけることに熱をいれてた。
白いYシャツはクリーニング屋に持っていったらどうにかなったという。
予備校卒業後、結局、彼はどこの大学にも受からず「南米が俺を呼んでいるかもしれない」と奇怪な言葉だけを残して行方をくらましてしまった。
そして、ファンタならセーフだったのか?それが僕がいまだに考える謎である。