手元にある長距離バスの往復チケットを使っての一人旅行。
それだけで自分がとってもワイルドな男(「出ていきなさいよ。この甲斐性なし!」といわれて何処にも行くところがなくて逃避しているザマ)になれた気がした。
あばよ、東京砂漠。
そんな別れを告げてバスに飛び乗る。荷物なんていらない。行き先なんてどこでもいい。それが一人旅。
八王子を抜けて中央道を突き進む長距離バス。渋滞の様子すらなく順調だ。 背中でどんどん小さくなってゆく摩天楼 オブ ビルジング。地方ナンバーがあふれるハイウェイ。旅心が私をくすぐる。
しかし、だんだんと農家やら山道が目立つようになるにつれ、都会から離れると、ワイルド気分の効きが薄れてきたのか、勢いよく飛び出した自分に不安を感じてきた。
いや、それ以上にバスの中ってやることがねぇーー。
つまり暇になった。
普段であれば気の利いた文庫本もザックに納まっているわけだが、あいにく今日は野趣に満ちた一人旅。
握り締めた現金だけが俺の持ち物。
ここはひとつ男らしく回想に耽って身をバスに任せてみることにする。
もしもこのバスが港から出発する船だったら?
なかなか楽しい回想だ。日夜行なわれるカジノゲームやビンゴ大会。
かけがいのない息子を自動車事故で失った大富豪との出会い。
デッキで太平洋を眺めている私に「ジョン。生きていたのかい。ジョン」と突然泣きすがる紳士。突然の声に驚く私。
「いや、取り乱してすみませんでした。てっきり死んでしまった息子が生きていたのかと思いまして。ジョンが生きているはずなんて・・・。私もどうにかしてました。それにしても死んだ息子にそっくりだ。お名前を・・・」
なんだか素敵な物語だ。私は大富豪の養子(ジョン2号)として迎え入れられ余生をエンジョイするだろう。
もしも山岡が・・・?はっ、私は何を回想しようとしているのだろうか。
頭の中に美味しんぼにでてくる山岡が突然と浮かんできた。
もしも山岡が豆腐じゃなく石鹸を食べたら?
回想というよりはもはや妄想が止まらない。
社主が開催した〝豆腐の食べ比べ〟試験でブクブクと泡を吹く山岡。
新聞社の威信をかけてグルメチームを作ろうという時に「おい、山岡!それ豆腐じゃなくて石鹸だぞ」と富井文化部副部長にしたためられる山岡。
そんな風にして第1回がスタートする美味しんぼ。
「山岡さん、まるで蟹みたいよ」栗田ゆう子がせせら笑う。
スチャラカ社員というよりはコミカル社員だ。
つかそんな奴がいるわけない。私は次の回想に移ることにした。
もしも・・・。
これこそ定番だろう。
もしも田中麗奈が私の嫁だったら?
なんて素敵な回想だ。
万分の一以下とも言えども可能性がないわけではないところがナイスだ。
「麗奈、芸能生活、疲れちゃった」と肩にしなだれてきたら!?
心臓発作を起こすだろう、きっと。
うん、念のためにバスを降りたら救心を買っておこう。マツキヨがあるといいが。
いや、それよりもすでに田中麗奈は私の近くにいるのかもしれない。
隣の席!!
私の隣の席には誰かが座っているじゃないか。
麗奈も一緒に一人旅。二人揃って二人旅!
私は目を開けて背筋を伸ばすフリをして隣の席に目を光らせてみた。
ガビンッ。
繁殖期のトドみたいな女子が震度3ぐらいの揺さぶりをかまして泣いていた。
田中麗奈の3人分ぐらいは目方がありそうだ。
what? 私は思わずシャウトした。
そして続けた。
「ど、ど、どうしたんですか?」
ワイルドな男はそんな女を本来ならシバキ倒すところだが、私はいたたまれなくてつい言ってしまった。
鼻水と涙がアゴの下で合流して第4級河川のごとく濁流していた。
「お腹空きすぎて、胃が痛いんです」
すきっ腹!
トドは腹ぺコで泣いていた。
そして足元にあるのは食べ終わったであろうチョコリングの空袋。
それ食ったんじゃ・・・?ワイルド男は疑問を持った。
でも突っ込めなかった。
「そ、そうなんですか。あいにく現金しかなくて」
私の精一杯のやさしさだった。