2009年02月09日

シャンプーがオカズ

ちょっと昔に読んだ本に南極越冬隊の詳細な生活模様が描かれていて、超スーパーエリートが選びに選びに抜かれた越冬隊といえども、やっぱり彼らも人間なのだなぁと深く頷いたことがある。

南極という土地は、例え裸で練り歩こうと(歩けるとしての話)、南極の水で泳ごうと、心肺停止に陥っても風邪は引かないというトンデモナイ場所なのである。

何故かというと、その尋常ない離れた環境下では風邪の病原体が生き抜けないのだ。つまり極寒すぎて病原体さえもサバイブできない。

そんな土地にある基地で生活するわけだから、南極越冬隊は超スーパーエリートな自衛隊員で構成されていて、ちょっとしたミスが一大事になりかねないので、細心の注意を以って、何もかもが緻密に計算されてプロジェクトが組まれている。

越冬隊員達が映画「シャイニング」のおっさんみたいに気が触れちゃわないよう、エンターテイメント性にも長けていないといけないので、実際に基地にはバーがあったりして、心の風邪をこじらせないようにも設定されている。

食事方面もマンネリ化を防ぎ、出来る限りに材料を運んでいるそうだ。

それでもやはり閉ざされた世界、周りでウロチョロしているのは警戒心のないペンギン、あたり一面は銀世界と白痴すぎる風景なので、お役所仕事とはいえどもストレスだって生まれる。

越冬隊員の構成員が昨今まで男性のみだったのは、閉鎖的生活の危険を回避するためであったのかもしれない。隊員達のシモの面倒を見るために、越冬隊用のダッチワイフが開発、俗に言う南極1号のネタは都市伝説になりがちだが、そこには人間の尊厳性とは何か?と学ぶところは多いはずである。

さて、僕がこの書籍で一番感銘を受けたのは、越冬生活はシャバと完全に閉ざされた文化排他的な状況なだけでなく、コミュニティ構成員も限定されているので、数十日も過ぎると、エロ写真なんて素材もすっ飛ばして、シャンプーでイケるという逸話。

つまりシャンプーをひと嗅ぎするだけで、シャバの女子を総て脳内に想起できて、達成できるらしい。

まるでシンナーみたいである。

シャンプーがオカズになり得る環境っていうのは、どんだけ飢餓状態なんだろうか。ネットつなげるだけでおっぱいボヨヨンなんてのは、はっきり言って飽食である。

そしてオカズの素材もさながらに、目的のためには手段を厭わない男子の裾野の広さ。これもまた深い。

2年ぐらい前に小学校で上履きを盗んだ奴が逮捕された時、「コイツはとんでもない変態だな」とも思いつつも、彼にとっては上履きがご馳走だったわけだから、その時もまた、男子は本当に何でもオカズにできるんだなぁと、呆れたりした。

シャンプーに話を戻すと、香りがイメージを引き出す触媒になっているようだ。

シャンプーの先には総体的な女子が存在していて、単に妄想だけではなく、嗅覚でそこのステージにまで到達している。香りが快速切符みたいな役割を果たしている。

たしかに何かを嗅いでイメージが沸き立つというのはある。

僕の場合、春先や初夏の頃に嗅ぐ工事現場の鉄が焦げたような香り、あれはかなりヤバい。アレを嗅いでしまうとどうしてもガチムチな兄貴が忘れられなくて、、、という訳ではなく、どうしてかニューデリーのメインバザールの喧騒を強烈に思い出してしまうのだ。

安くて全然地球に優しくなさそうな重油の揮発した成分と鉄工が複雑に入り混じり、僕にまで届く。ふと、それを嗅いでしまうとインドに到達できるのだ。

自分の脳内がどうなったら工事現場とニューデリーとで結びつくのか解らない。

でもそれは確かに現象として起きていて僕自身を捉えている。ほんの一瞬だけだけれども、僕はメインバザールの喧騒の渦に立ったりしている。しばらく嗅いでいると動けなくなったりもする。よっこいしょと現実に戻らないといけないのに。

香りは記憶の触媒になる。そんな風に思う。何十年か先、自分の記憶の多くが失われ視力も乏しくなって、きたねぇジジイみたいに成り果てたって、忘れていた遠い昔の出来事や大切な誰かのことは、香りが記憶してくれているのだろう。そんな気がする。

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投稿者 ko : 2009年02月09日 21:21 | トラックバック(0)
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