ふつう、商品といえばやはり物質である。
物質ではないまでも、たとえば電力のように、物質に準じたとりあつかいのできる、いわゆる外延量をもったものである。
それは、つねに計量が可能であり、たしたりひいたりできるところのものである。ところが、新聞やラジオ、テレビの売るものは、そういうものとはまったくちがうのである。
新聞社の売るものはもとより新聞であるが、新聞とは、物質としての新聞紙ではない。新聞紙そのものは、まにあわせ的な悪質の包装材料であるにすぎないし、その売買は廃品回収業者の仕事である。
新聞社が売っているものは、新聞紙という物質的材料のうえに印刷されたニュースであり、あるいは、さまざまな伝達内容をもつところの、一般的に「情報」ということばで表現できる記号の系列なのである。
一定の紙面を情報でみたして、一定の時間内に提供すれば、その紙が「売れる」ということを発見したときに、情報産業の一種としての新聞業が成立したのであった。
梅棹忠夫『情報の文明学』