「キャロム」の駒は球体ではなく、どちらかというと平べったいポーカーで使うコインのような形態をしている。
(あんなに薄くもないけれど)
ストライカーの方もおんなじで、少しばかりこっちのほうが厚い。
面白いのがストライカーには必ず幾何学的な模様が彫ってある、
もちろん、こだわる人にとって“どのストライカーをチョイスするか”というのはとても重要な事になる。
僕はこのゲームをポカラのレイクサイドにあるゲストハウスでよく遊んだ。
そのゲストハウスには大きな庭があって─そこからはヒマヤラの全貌が見渡せたわけだけど─、
中央に東屋(あずまや)があり、宿泊客やゲストハウスのネパリとかが日がなたむろしていた。
木陰だし風通りもいいからついつい長居しちゃうような場所で、
その裏手にはキッチンもあったから、大抵の朝食はその台所を借りて、
近くの屋台で買ったパンとヤクチーズで済ました。
そこの真ん中の一枚板のテーブルに「キャロム」は置いて有った。
朝食前にもしたし、就寝する間際もろうそくランプの灯りでプレイした。
とかくネパリ達はこのゲームが上手で(そりゃそうだろう、小さい頃から嗜んでいるんだもの)、
勝負を吹っかけるとぐうの音もでないくらいコテンパにやられた。
でもおかげさまでこのゲームの面白さやテクニックといった貴重な内容をたくさん教わった。
気に入ったものが有るとどうしても欲しくなるのが僕の性格なので、
帰りに寄ったニューデリーで居ても立ってもいられずに、ここぞとばかり衝動買いした。
どこにも置く場所なんてないのに。
その時のニューデリーは6月初旬で平均気温は47度だった。
47度という気温はちょっと想像しがたいかもしれない。
少しだけ説明すると、まずピアスと時計を外さないと火傷しそうになる世界だ。
アスファルトが溶けてサンダルの裏にネチャリネチャリと引っ付く。
そんな状態で僕はタクシーをすっ飛ばして買いに行った。
「キャロム」のボードは決して小さいとは言い難い大きさなので、
はっきり言って購入後の運ぶ事に関してはなるべく考えないようにした。
日本人が買いに来たと言う事で親父は割と感激してくれてそんなにボッタくるような事もしてこなかったし、後から確認したけれど、どのインド人もその値段だったら安いと言ってくれた(おおよそのインド人はボッタくられた値段を言うと小馬鹿にしてくる)。
一番の問題は僕はその時インドから日本に直接帰る予定はなく、
タイを経由して帰国する予定だったということだった。
そこでニューデリーでプチプチを買い上げて、ガムテープを買い上げて梱包する事に決めた。
インドで何かを探すという事は、海岸で落した指輪を探すような作業で(そんなCMがあったよね)、
東急ハンズもコンビニもあるわけではないからそれだけで一日がつぶれた(気温47度、わはは)。
そしてクーラーもなにもない1泊90円の宿の軋むベッドの上で梱包に取り掛かった(ええ、47度です)。
ようやくその梱包したボードをバックパックと手元にあるバッグと共に運んだ。
空港だ。僕の荷物はオーバーウエイトで超過料金を確実に取られる。
これは痛い。
そこで一計を案じ、荷物を計る瞬間にそこに立ち会ったインド人スタッフと握手を交わした。
もちろん、僕の右手にはそれなりのインドルピーが握られていた。
言うまでもなく賄賂で買収行為で違法行為だ。
でもちょっとした連中やインド人でもこれは当たり前のようになっている。
正規レートで両替をしないのと同じだ。決して誉められる行為ではないけれど、
日本と違ってタフな場面が確実に存在する。こうして荷物はタイに運ばれた。
ところが、ドンムアン空港で引き取ろうというとき、事件は発生した。
いつまでも受け渡しコーナーに荷物が現われないのだ。
スタッフに問い詰めると、なんと荷物はそのまんま成田まで行ってしまったらしい。
実は棚からぼた餅以上の幸いなんだけど、
だいたいのこういった時に強気に出るのが野良のバックパッカーで、どうしてくれるんだいと訊ねた。
そしたら航空会社の免責事項でご自宅までお届けにお届けいたします、いつ頃帰国予定ですかと、
そのスタッフは答えた。
僕はタイにどれくらいいるのか分からない。成田に着いたらそこで航空会社のカウンターに向かうからそれまで取っといてくれないかな?と腰は低く、でも強気に頼んだ。
相手は少しだけ考えて、もちろんですと答えた。
「ええ、もちろんです。お届けにあがります」
そのような巡り合わせで僕はキャロムのボードを日本に持ち運んだ。
帰国後、なぜか日本ではプレイしなかった。
いまも僕の部屋にはこのボードが立てかけてある。
当時のような情熱を持ってこのゲームに向かう事ができないのだ。
一度だけ試しにプレイしたけれど、やっぱしだめだった。
たぶん、東京という土地の、あるいは僕を取り巻く環境の時間の流れが、
このゲームに向いていないんじゃないという気がする。
このゲームはゆっくりとした時の流れに身を任せてするゲームなんだ。
そう思うと少し残念な気がし、それと同時にワーカーホリックな自分が否めなかった。
そして陽だまりの中で「キャロム」をプレイした日々のことを想った。
東屋にいるネパリのことを考えた。
彼らは一日中プレイしていた。
パンケーキを焼き、煙草を吸いながら山の麓で。
いまもゲストハウスの宿泊客と一緒にゲームをしているのだろうか。