インドでもパン(ブレッド)が意外といけると知るようになったのは南インドを訪れてしばらく経った頃である。ご存知、インドの食事といえばカレーとそしてナンであり、それは揺るぎも無い事実だとしても、それに遜色が無いほど美味しいのが南部のパン。
四大都市のうちのボンベイから夜行バスで南下していくとだんだんと亜熱帯な植物が目立ち、より緑色の深い森が増えてくる。朝もやもたっぷりと湿気を含んだ空気になる。
夜行バスはだいたいとして朝の4時頃に着くけれども、旅をしてから努めて善良な旅人であるあなたでも、右も左も分からないただ暗闇が永遠に覆う世界の片隅で降ろされる。
バスが過ぎ去ろうとする時に「ちょ、ちょっと待って」と力なく呟いても、もうバスは動き出して無情にもテールライトの光跡だけを残し、あなたはやはり一人ぼっちになる。
夜明け前の名も無い更地のようなバス停で過ごしたらいいかといったことは手元にあるガイドブックの何処にも載っていないし、運悪く近くで野犬も吼えている。「ウォォン、ウォォン」
そんな時、日頃から街中や露天の軒先で何か気になるものがないかと鋭く目を光らせる旅人であるあなたは、その視点できっと一つの灯りを見つける。
それがバジ屋だ。
南インドのみにあるインド庶民の一銭食堂のようなもので朝方から夕方まで開いていることが多い。あなたはほっと一息を付く。さっきまで流れていた背中の嫌な汗も忘れ、神にも仏にも感謝する。「God bless me」
バジ屋にはたいしたものも置いていない。チャイとパンとバジと呼ばれる黄色いムング豆のはいったカレーだ。バジのカレーは日本のそれのようにドロっとしていなくてどちらかというとスープに近い。そのバジに最高に相性が良いのが南インドのパン。切る前のフルサイズの食パンをミニサイズにしたような格好。
どのバジ屋でも竈があるのでもちろん焼きたて。さてさてと手をこすり、パンをちぎると温かい甘い小麦粉の芳ばしい香りが漂う。これをアルミ皿に載ったバジに浸して食べるのだ。
バジの塩気の効いたマサラカレーとパンの甘味が口に広がり、おそらく昔食べただろう給食のカレーの献立を思い出す。パン、カレー、パン・・・・。すっかり我を忘れて満足そうに最後の一粒までムング豆を口元に運ぶと無愛想なインド人が「チャイ?」と尋ねてくる。きっと尋ねてくる。黙って頷くと湯気の立つチャイが運ばれてきて、今度はそのシナモンとミルクと茶葉の複雑な旨みに驚きの声をあげる。
特にカレー系の食事のあとにはチャイの甘さが合うとは知っているあなたでも、こんなに美味しいのは初めてだ。とたんに南インドに期待をもつ。
喜びの声をあげている突然現れた外国人を見てむっつりしていたインド人給仕もちょっとだけニヤっとする。
満足そうにお腹をさすりながら勘定を払うと12Rps(30円)。
疑いながらも最後まで驚かされたあなたは嬉しいような狐にだまされたような顔をして店を出る。やっぱりインドはすげぇや、と。
旅はつづく・・。