2005年03月11日

ソムタム的バンコクライフ

頭には神様が宿る場所だから人間にとって神聖な部分と見ることから、頭に触れるのは、いかなる理由でも失礼にあたるとするのが、日本の遥か南に位置するタイの慣習。

じゃあ、頭以外はどうだろう。

頭と正反対に位置する足。足は非常に汚い部分と考えられていることから、他人に足を向けるのは大変良くないマナーであるとしている。

そして、挨拶をするとなれば、胸の真ん中に柏手をつくって手を叩かずに両手を合わせ、お辞儀をする。これがタイの挨拶だ。

だからイーブン(日本人)である君や僕は、タイにいる間は、愛くるしい子供が水場でキャッキャ遊んでいるのを見ても、じっと頭を撫でたい気持ちを抑えて、笑顔を向けて、そして胸の真ん中で両手を合わせて「サワディーカップ」と挨拶するのがマナーであり、異文化コミュニケーションなのだ。

もちろん、足をむやみに向けてしまうような仕種をしてはいけない。

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バンコクから高速バスで3時間ほどにあるホワヒン。かつてはタイ王国の皇族のリゾート地でもあった、白い砂浜の広がる静かでリッチなビーチだ。僕の友人の一人、和気君は、ご両親の仕事の関係から、タイに生まれ、タイに育ち、そのまま現地の学校にあがって、高校と大学時代は日本で過ごしたというバイリンガルな男である。

僕は予備校の友達を通じて知りあい、一緒にアルバイトをしたりした。その間、彼は僕ら(僕と予備校の友人たち)に揚々とタイの素晴らしさについて語った─自然の美しさ、タイの風土、ご飯の美味しさについて、そしてそれはそのものずばり彼の話した通りリッチでワンダフルな世界であった─彼の姿はまるで自分の娘を誉める父親のような表情であり、僕らも彼の話を聞くうちにタイへの憧れを自ずと強めていった。

そして、そのホワヒンが彼の育った環境、つまり彼にとってそこはローカルな土地であった。

ホワヒンでは、僕らは彼の地元の友達が持っているビーチの近くにある3階建ての真っ白なリゾートマンションに住んだ。

大理石が敷きつめられたマンションで、ピカイチに過ごしやすいマンションだった。大理石は、たとえどんなに暑いところでも冷える性質があるらしく、ビーチで真っ黒に焼けた肌にペッタリとくっつけるだけで、僕らはどこまでも深い眠りに落ちることができた。

夜、屋上に上がると満天の星が見渡せるような世界。リゾートライフだ。

初めてそのリゾートマンションに泊まる日、僕らがそこに向かうと、1階のバルコニーで、褐色の健康的な肌と、白い歯をキラキラさせたタイの女性が、掃除のお手伝いをしていて、瑞々しい笑い声がフロア全体に響いていた。

僕らは、その純真かつ夢の桃源郷のような光景にしばし呆気をとられ、ぼんやりとそこに立ちすくんだぐらいだ。

聞けば、彼女たちは僕の友人の地元の友達のさらに友達たち(ややこしいな)で、日本から僕らが来ると言うことからお手伝いをしてくれたのだ。

2つくらい年上だったけれど、つまり21歳くらいだったけど、猫みたいにじゃれるお茶目な女の子たちだった。ミャオ、アン、チャンラン、ケイ、彼女たちの名前だ。うん、僕らは君らのことを忘れない。

やがて掃除が一段落ついた彼女たちが、お腹が空いたからご飯を食べましょう、と準備してくれたのが、青パパイヤのサラダであるソムタム。

ソムタムとは、タイ東北部イサーン地方の料理で、青パパイヤの千切りに小エビや蟹を加え、ナッツも入れ、調味料を加えて、それをまとめて臼で叩いて作るサラダだ。

モチ米と一緒に食べるのが一般的で、唐辛子も入っているから辛いけれど、小エビや蟹の海の滋味とシャキシャキした青パパイヤの食感に甘ずっぱいような酸味と塩気が混ざった、まさに一口食べたらまた一口と止められない美味しさのサラダだ。

彼女たちはソムタムとモチ米、そして瓶のコーラを中心に置いて、輪になって大理石の上にぺたりと座った。そして足先はみんな円上の外へと放射線を描くようにキレイに向けられ、女の子座りで、彼女たちはキャッキャと食事を楽しんでいた。

もちろん僕らも輪に加わり、女の子座りで誰かに足が向けられないよう、それぞれが考慮した筈だ。

僕らの誰かが「辛い辛い」と顔を真っ赤にしてホフホフ叫ぶ、彼女たちはそれを見て喜んで、また猫のように柔らかさで、キャッキャと笑ったのであった。

20050311


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投稿者 ko : 2005年03月11日 13:04 | トラックバック(0)
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