2005年03月22日

カイマナヒラの家

・池澤夏樹「カイマナヒラの家」

「カイマナヒラの家」

池澤夏樹のエッセイや小説を読むたびに南の島を無性に訪れたい衝動に駆られる。太陽の照らす限り、目いっぱい波で戯れたあと、日が沈み掛ける時間に、地平線の彼方にある真っ赤な夕陽を、まだ熱を持っている砂浜に寝転がりながら眺めたい気持ち。

心地よい疲労感と良く焼けた肌。

*

本小説はハワイを舞台にした物語で、本編のエピソードにもあるように、ここに出てくる登場人物はハワイのことを〝ハワイイ〟とこだわりと尊敬を持って発音する。そのあたりが作者のハワイイに対する譲れない想いが込められているのだろう。

物語の進行は、実際に〝ハワイイ〟にある同題名の家を舞台にした、主人公の〝ぼく〟が巡る、波乗り達の愉しい生活だ。ロビン、ジェニー、サム、お春さんといった登場人物達との共同生活が爽やかに描かれている。

文体自体が村上春樹の初期作品に通じるような透明感のある文体で、人によっては好き嫌いがあるかもしれないけど(それは村上春樹にも言える)、映画のシーンを抽出したような展開と洗練された会話のセンス、そして一章節がショートスタイルなので、長い物語はちょっと・・・という人でもきっと読みやすい。

常夏の物語なのに、きっと読み終えると何ともいえない切なさがあることだろうと思う。

日本人が持ちえる季節を巡る夏の終わりが、主人公の〝ぼく〟が感じ取っている「いずれはこのカイマナヒラの家を去らなくてはいけないんだ。そしてハワイイの永遠とも思える生活も」という気持ちと重なっているからではないだろうか。

常夏ハワイイでもそこで織り出される物語は必ずしも永遠ではない。サーファー達にとっても、そして人生にとって同じ波は一つとしてないのだ。

かけがえのない過ぎてゆく時間と切り取られた美しい日々。変わることのない夏の季節と相反して描かれている〝やがてそれぞれが歩む暮らし〟に、哀愁と希望が奏でられている。

ワイキキだけがハワイイでは無い。いつか行ってみたいと思った。

作中に散らばる星砂のような 芝田 満之 の写真もハワイイの美しさを余すことなく描写していて、より一層に旅の心を掻きたてる。

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投稿者 ko : 2005年03月22日 16:25 | トラックバック(0)
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