・いわしげ孝 「ジパング少年」(ビッグコミックス全15巻)
「ジパング少年」
80年代後半から90年代初頭に掛けて管理教育の社会問題があった。いまみたいな〝ゆとり〟教育と呼ばれる時代のずーっと昔の話。
学校という場所では、生徒は管理されて当たり前という状態で、日本全国厳しい校則の学校があり、ポケットを縫いつける校則(なぜならポケットに手を入れて歩くというのは、〝風紀を乱す〟行為だからだ)や、男女が5m以内に近づいてはいけない校則など、あまたにがんじがらめのルールが存在した。
生徒の個性というものは存在しない、そんなものは必要ないのだ。その社会問題は僕が記憶する限りで「女子高生校門圧死」事件でピークを迎えていたような気がする。
これを読まれている方の中にはご存知無い方もいらっしゃるかもしれないので、少しだけここで触れたいと思う。
この事件は、1990年(平成2年)7月6日午前、神戸市西区の兵庫県立神戸高塚高校で、遅刻の為に校門の門扉に挟まれて生徒が死亡した。その学校では始業の時間に間に合わない生徒が居ると、チャイムに合わせて豪気に門扉を閉めるのである。
その教師がゴロゴロと扉を閉めた音に驚き過ぎた生徒が鉄製の扉に挟まれて死亡したという事件。とにかく信じられないことに、たかだか10年前では、遅刻だけで生徒が死ぬという時代だったのだ。
ただ、そういった学校教育の歪みについて論説指摘をかますのが今回の趣旨ではないので、元に戻すと、このマンガ「ジパング少年」の主人公である 柴田ハル は、そんな管理教育に反抗し、その矛盾したシステムを、自分と自分の僅かな友人以外はおかしいとすら思っていない日本の風潮を何とか壊し、日本の外へ飛び出そうと頑張る高校生で、このマンガはそんな不器用でもある彼らをめぐる物語だ。
徹底して教師に対し〝イエスマン〟が求められている学校なのに、禁じられた生徒総会を開催しようとし、退学を賭けてまで、文部省の望む通りに仕立てられている学園祭のジャックを、同じく同級生が主催しているインディーズ系で人気を誇るパワースラムスの野外ギグを校庭でぶちまけることで企て、既存の体制を覆し、全校生徒を参加させることで風穴を開けようと奮闘する。
このあたりのシーンは、たとえ高校生じゃなくても今読んでも昂奮する。
結局、退学となった 柴田ハル は、同じく退学になったペルーからの帰国子女の 森ととら 、既に退学となった 祖父が臨教委員で巨大コンツェルンの御曹司である 城山ひとみ、そして 父親がプロディーサー、母親が有名女優である かんな と一緒に南米に旅立つ。
そのようなバッググランドに大きく苛立ち、ひとみ も かんな も両親と本当に求める自分とのギャップに反抗をしてきたタイプなのだ。
やがてオーロレ(ガリンペイロ=ポルトガル語で、一獲千金を夢見、南米アマゾン川流域で金掘りをしている労働者の総称)を目指し、イタリア人カップルの ロッキー と ソフィア と出遭い、失われたインカ帝国の黄金伝説 ビトコスを見つける。
しかしビトコスは結局のところ部外者が触れるべくモノでは無いことを理解する。それはインカ民族のためにあるものだったのだ。南米まで旅たち、多くの人々の死にまで遭遇した17歳の少年たちは振りだしに戻ってしまう。イタリアに帰国するというロッキーたちと別れ、ハル 達が最後に気づく。
南米の最南端で感じるモンゴロイドである自分のルーツ。
自分の日本人たるルーツとは何か、日本の自分に合うことのないシステムを嫌い、それでもなぜそこまでして日本にこだわり、日本人であることを考えてきたのか。ハル 達が出会ったのは遥か一万年前にアジア大陸を越えてやって来た純粋モンゴロイド(ファーストアメリカン)。そこで自分の求めていたゼロの感覚に身を震わす。
旅、南米、ガリンペイロ(黄金掘り)モンゴロイドロード、ビトコス。名作である。放浪癖がふつふつと沸く。旅に何かを求めるすべての人に。