ある日、どこからともなく、こんなイメージがくっきりと頭に浮かんだ。
ひとりの若者が、郊外にある小さな自分の家の外で、下水管の格子蓋のすきまへ小銭をつぎつぎに押しこんでいる。
それだけのイメージだが、あまりにも鮮明なので ─しかも、おそろしく奇妙なので─ そのまわりに物語を書かずにはいられなくなった。
文章は一度のためらいもなくすらすらと出てきて、物語は人工遺物であるというわたしの持論を裏づけてくれた。
つまり物語とは、われわれが作りだす(そして、その作者だと主張できる)ものではなく、すでに存在している遺物であり、こちらはそれを掘りおこしているだけなのだ。
スティーブン・キング『なにもかもが究極的』(小説家)