2005年07月20日

八丈メランコリ(1)

これから八丈島に向かおうっていうのに、さっきからメリーゴーランドの映像が頭から離れないったらありゃしない。

東海汽船─という名の恰幅のいいシロナガスクジラ─は気持ちよく滑り出したし、2等席無しのわりには、自動販売機の真ん前に場所も確保できたっていうのに。

船全体の雰囲気だって大型連休の素敵な始まりを予感している。

メキシコのバティックも敷いて、占領地のアピールもオーケー、100円の毛布もたくさん借りた。

それでも、頭の中の映像はビカビカと月夜もおびやかす照明が発情した牝牛のように照らしまくる姿と、ツルツルのプラスチック製の木馬が摂氏100度の熱で溶ろけたキャンディのように渦巻いている姿で、埋め尽くされている。

木馬が上下に揺れながら回る姿が見えて、剥き出しの歯と瞬きの無い目が光跡のように伸びていく。

そんな映像。

メリーゴーランドのほかにはなにも存在していない。漆黒の闇だ。

たまにあることだが僕はうっかりするとそんな遊園地に紛れ込んで、ちょっと抜け出せなくなる。僕が産み出した世界に過ぎないとはいえ、一度踏み入れてしまうと大変なんだ、とにかく僕を支配していく。

木馬は全部で12頭。これはいつも決まっている。

11頭でもないし、13頭でもない。必ず12頭だ。木馬以外は見たことがない。

あまりにも毎回同じなので、一度どうにかして順番に名前を附けてやろうと考えてみたことがあったけれど、どうもピッタシの名前が浮かばない。

仕方ないので僕は思い切り空気を吸って叫んでみる。

そうなんだよね、実は僕は知っているんだよね。こうすればとりあえず木馬の回転だけでもとりあえず止まるってのを。

深夜の遊園地に迷い込んじゃったら、ありったけの空気を吸え。これが僕のローカルルールと処方箋。

すぅ~、。


でも木馬はどんどんスピードを高めて、溶ろけた飴みたいにもっと横に延び、煙を吐いて空高く飛び立って、赤い飛沫と黄色い息を吐いて粉々に砕けちゃった、で、変わりにチンパンジーの楽団が歯を剥き出しにしながら演奏を始めやがった。ウッシャッシャウッシャシャ。

ふぅ、うまくいかないものだ。

それにしてもさっきからどうしてそんな映像ばかりが目に付くのだろう。
パーティでもないっていうのに。

そう、今回僕らはレイブじゃない旅にでている。八丈島でキャンプするのだ。

東京品川の竹芝桟橋から18時間。伊豆七島と云う名の島々の先端。島の路面には真っ赤なハイビスカスが咲いているという。晴れていれば八丈富士の頂が見え、牧場では牛がモウモウと鳴いているとか。

その島に唯一ある底土野営場ってところにテントを建てる予定。島でのテントは我々としては初めての試み。

島に行くのに民宿も予約しないでテントだけで行くって話をしたら方々から目を丸くされたけれど、きっとどうにかなるものだ。

何度パーティでテントを張ってきたのか分からないぐらいだし。むしろそっちのほうがしっくりとくる。
少なくとも僕らにとって。

もちろん、台風さえ来なければね。

それにさ、野営場って響きがいいじゃないの。そりゃロマンやファンタジーからは程遠いかもしれないけれど、なんだか、一昔前の放浪者にでもなった気分がする。

一昔の放浪者?チンパンジー?、どうかしている。

*
*

旅の予感は大切だ。うまくいくだろうという気持ちと、少し混ざる不安。
高まる気持ちと期待感を這わせて東海汽船がどんどんと推進を高めてゆく。

細かく散らばったガラス片のような摩天楼が揺れる。当たり前だけれど、灯りの数だけ見ず知らずの人の人生がある。
でもなんだか不思議だ。

幾千万の都民のそれぞれの夜。彼らはどんな連休を過ごしているのだろうか。

*
*

群馬の前橋に仕事で飛ばされていた友人が、ひさびさに東京の本社に戻ってきた。出身が三宅島で、帰島するというので、その高校の友人も一緒に船に乗っている。

高1の時からの親友。予備校・大学も一緒で、かれこれ15年の付き合いになる。

そう思うと随分と時が過ぎたのだなとしみじみとした気分になる。

放課後にいつまでも日が暮れるまで遊んだりした。

彼は大学の推薦入学を狙ってたから、すべての授業に出席し、遅刻も早退もしていなかった。(それに比べ、僕らは全科目をそれぞれ割り出し、この科目ならいくつまで落とせるかと綿密に計算し、ひたすら授業をサボって、学校の隣にある喫茶店でゲームをしたり、居眠りをしたりの日々だった。)。

でも、彼は高3の受験の時期になると、同級生の兄貴が発した「男なら二浪しても早稲田を目指せ!」にまんまと僕らと揃って感化され、某大学の推薦入学を蹴って、桜を散らした。あげく、一浪したけれど、僕と同様、早稲田に入学できず、雁首揃えて入学式で肩を並べたわけだが。

とにかく15年だ。長いのか?長いのだろう。

当時は、今は無き渋谷の「なんじゃもんじゃ」で合コンするのが楽しみだったな。嗚呼、わが青春。

その彼がデッキで煙草をくゆらしている。大きく吸う煙草が蛍のように赤く灯っている。

三宅島出身である彼は毒ガスがまだ大量に残っている島に帰島するのだ。

そこまでして帰るという故郷に対する気持ちは僕には分からない。

もし僕がバンクーバーにでもいて、東京がガスにやられたとしたら、それでも帰るだろうか。

マスクを着用しないと生活できないというその故郷をひとめ見たいと思うのだろうか。

少し塩味のする海風にあたって、そんなことを考えた。

かわりばんこにビールを回す。

遠くで白波が荒々しく深海生物の鋭角な歯牙みたいに船に噛み付いているが見える。

*
*

深夜。

ハッとして目を覚ましたら午前2時だった。

自動販売機の前にバティックを敷いただけのお粗末な寝場所だけれど、しこたまビールを呑んだせいか気がついたら眠りに就いたらしい。

毛布の周りにポテトチップスやら薫製のイカやらが散在している。

チンパンジーの楽団も何処かに消えてしまった。いい兆候だ。

他のメンバーも深い夢の世界にいっているようだ。ウシオが寝息を立てている。大学時代からの仲間。ゴアのチャポラで3月3日3時33分33秒に待ち合わせをしたんだけど、僕が48時間以上遅刻して迷惑を掛けた。

三宅島の友人とは面識がある。校内で紹介した記憶がある。
エンジン音と被る寝息が深夜を想わせる。


話し掛けようとも誰も起きちゃいないしビールも空ばかりなのでもう一度眠りに入る。
きっと次に眼が覚めるのは三宅島到着だろう。

*
*

アナウンス。「・・・・へ到着の方は・・・」
硫黄の匂い。

*
*

あたりに硫黄臭が充満していた。おい、起きろよ。三宅島だぞ。モソモソと身を起こす。

眠たい瞼をこすり、キャンプ場に持っていく予定の〝モズクスープ〟をカップにあけ、お湯を注ぐ。

海藻独特の優しい塩分とスープが温まる。空きっ腹にちょうどいいみたいだ。

それにしても凄い臭いだ。温泉場のような臭いが漂っている。

屁ぇ、こいてんじゃねえぞとアッコちんに言うと、「してないっつうのー」と嗾けられた。

さて、MAEZAWAよ、本当にガスマスクしなくていいのか?周りを見渡しても、していないの、お前だけだけど。

「平気でしょ。死にはしないよ」

そうだけど。ゲホッ、ゲホッ。少し話すだけで、自然と咳き込んでしまう。

有毒ガスを吸い込んでしまうのだ。船の中でさえ、こんな状態なのに…。

しばらくすると船が停泊した。みんなで見送りをする。目が沁みて、息をするのが辛い。

友人には申し訳ないが、手を振るだけで精一杯だ。

じゃ、またね。帰りに会おう。

八丈島へと船はさらに波を荒々しく蹴散らし進み、船の揺さぶりが不機嫌にも眠りを起こされてしまった中世のドラゴンのようである。

思わず九州の小倉から韓国まで船で旅立った日の悪夢が蘇る。あれは酷かった。グルグルと三半規管がやられて船酔いになったのだ。

でも吐こうにも吐けない。そんな辛さ。嫌な汗が背中に伝わり、地獄が手招きしている状態。

そんなナイトメアスパイラルが寄港地の釜山まで続いて、僕は韓国到着後にも、気持ち悪くてキムチの匂いを嗅いだだけでウエッってなってしまったものだ。

この船もそれに近いものがある。右へ左へと荷物がずれる。

グルグル。

*
*

やっぱしこの日の波は荒かったらしく、島の逆側の港に東海汽船は停泊した。

その関係で港から徒歩で5分で到着するはずの野営場は港から徒歩数時間に早変わり、僕らはテント地までタクシーをとばすことにした。

椰子の木や南国風の平屋が続く。

ここは本当に東京なのだろうか。

沖縄のような光景だ。

庭先に咲き誇る原色の花々にみんなしばし見とれる。

潮の香りと澄み切った青空。

運転手さんが民謡を歌う。窓を開放して島の空気を堪能する。

*
*

到着した野営場は想像していたよりもこじんまりとしていた。敷地が2面に分かれている。

トイレと洗面所と台所を挟んで右側が、海に近く、景色が捌けている。

そのせいか、テントを張っているのも若い連中が多く、学生の姿が目立っていた。

左側はエアポケットみたいな芝生で、周りが木々に囲まれている。

釣り人や外国人バックパッカーが多いようだ。木にロープを吊るして洗濯物を干している人もいる。

真ん中にキャンプファイヤの焦げ後が見える。

「さて、どうしよっか」

タクシーからすべての荷物を降ろして僕らは考えた。

住めば都という言葉は僕は非常に大好きで、慣れちまえばこっちのもんっていうポリシーは、生きる上で得なほうに作用するんじゃないかなって気もする。

でも、テントを建てるときはその立地条件をもっとシリアスに考えなくちゃいけない。

それは景色だけが総てじゃないってことを意味している。もちろん見晴らしが素晴らしいところというのは魅力的だ。でも、やっぱ一番の要素は、雨風がどのようにしのげるかだ。僕らはその必要性を、今までのキャンプ生活で骨身に沁みるほど学んできた。

八丈島の野営場の右側はどうやら景色は冴えていそうだけど、夜は強風に煽られそうな気がする。

これは予感だ。

「右側もいいけどさ、夜は辛そうだよね。海風がすごくなりそうじゃない?」
「だよねぇ。ちょっと怖いね」
「左側の真正面の突き当たり、あそこ、良くない?あそこだったら風もそんなに当たらないだろうし」

僕らの結論はこうだ。

つまり左側のようなハレのスペースはたしかに景色も突き抜けているので開放感がある。

でも学生が多いし、にぎやか過ぎる。逆に左側は全体的に静かな感じで、経験豊富な旅人が揃っている。彼らは賢い。しかも雨風がしのげる。

つまり、彼らは〝そういう〟場所を探すのに長けているのだ。必要性と安全性。そして旅人達が知る快適さ。

ということで、僕らは右側にテントを建てた。ビールを片手に口笛を吹きながら。

降りそそぐ日光と夏の予感。うっすら香る潮騒。亜熱帯の植物。

雲ひとつない透き通った青空。天国みたいだ。

でも、ここは本当に東京都なのだ。

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投稿者 ko : 2005年07月20日 19:15 | トラックバック(0)
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