・高野文子 「黄色い本―ジャック・チボーという名の友人」(アフタヌーンKCデラックス)
「黄色い本―ジャック・チボーという名の友人」
この本自体は漫画だけれども「読書」の楽しみと図書館の大切さを教えてくれる作品を「黄色い本―ジャック・チボーという名の友人」と宮本輝の「星々の悲しみ」以外に僕は知らない。「星々の悲しみ」は受験生の持つ束縛に対する歯痒さと〝生きる〟意味と読書の素晴らしさを教えてくれた。
この「黄色い本―ジャック・チボーという名の友人」もまた「読書」がどれだけ素晴らしいことかを、僕らに教えてくれる。
漫画だからって読まない人は絶対損をする筈だ、請け負ってもいい。
物語の中心にいるのは、ロジェ・マルタン・デュ・ガール原作、山内義雄訳の若干と時代錯誤の本「チボー家の人々」に夢中になる高校3年生の美地子。
舞台が新潟の雪山なので作品中のセリフもすべて新潟弁で語れている。
裁縫が上手な彼女は家のミシンの手伝いもこなし、卒業後の行く末はメリヤス工場という評判のよいメーカーに就職するのを期待されている。
長い冬、卒業までの時間、彼女の心を捉えたのは図書館で借りた「チボー家の人々」のジャックだった。
「チボー家の人々」から人生で大切なことの多くを学ぶ彼女。
通学中も、深夜に家族が寝静まった後もひとときも本から目が離せない。でもそろそろ読書も終わりに近づいてきたのだ…。
いま思うと、僕はもしかしたらだらしなく読書をしているのかもしれない。
「チボー家の人々」のジャックと革命について語る実地子が羨ましくも思った。
全5巻を読み終えて、ジャックにさよならを告げ、革命とは離れてしまうが自分がメリヤス工場に就職するであろう旨を報告する実地子に憧れたりもした。
僕もたしかにそうやって読書に身を焦がした時代があったのだ。
あれはいつのことだったのだろう?
いつのまにかルーティングワークのような読書生活になってしまった。
ラスト数ページに書かれている春も訪れる頃、実地子がそっと図書館に本を返却する場面は忘れることが出来ない。
高野文子の虜になる。
最後に。
実地子が読書の終える頃、彼女の父親がポツリという一言。
「好きな本を一生持ってるのもいいもんだと俺(おら)は思うがな」
身に沁みるセリフである。
お!読んだんすねー
一生モンの良い本って突然ポッと現われるんだなぁとか思うよね。
最近はなんか「本を読む」のが義務みたいになってきてたかもしれないや。もうちょっと楽しんでみようと思いますヨ(ページの墨に勢い良くマンガを描き始める)。
高野文子、最強っす。日常をほんわか描く作家として。
「チボー家の人々」のオリジナルをぜひ読もうと決めましたよ。
マンガだからって色眼鏡で見ちゃだめっすよね(近所のボスみたいな子供の似顔絵を2割り増しで男前に描きつつ)
そうそう、マンガだからって(教訓を無視してガキ大将をそっくりに描いて肝油ドロップを強奪されながら)、ていうのはあるよね。
特に、アフタヌーンの昔の四季賞とったやつとか、ガロとかにはフランス文学的なものとか日本の純文学みたいなクオリティのがゴロゴロしてると思うよ。
黒田硫黄なんか横光利一の短編かと思うよね(大げさ)