ブラッドリーが亡くなったのは96年5月だった。
死因はドラッグのオーバードーズ。その前年にカート・コバーンが自らのこめかみに銃口を突きつけてこの世からおさらばしてわずか1年を経過したかしないかの出来事だった。
新聞の片隅に載せられたカート・コバーンの記事には、どんな種類の感傷もなかった。ただ一人のミュージシャンが自殺しただけの内容だった。それはあまりにも切ない記事でもあった。
なぜなら当時、ニルヴァーナは僕らに多大な影響を与えたからだ。
僕はその記事を切り取って黙って学校に向かった。泣くことは許されなかったけれど、その日はひどくぼんやりとした現実離れした一日で、ニルヴァーナを崇拝している涼介は「チクショウ」と呟いた。
94年4月は僕の大学入学の年であり、ロックの終焉を感じた年でもあった。
そして96年5月、パンク、スカ、レゲエを融合した音楽を打ち出したサブライムのブラッドリーが突然死んだ。とても衝撃的な死だった。
96年は個人的にもドタバタとした年で、身の回りでたくさんの新しい出来事が起きて、たくさんの人が突然と死んだ。知り合ってわずか数ヶ月で悲報を耳にすることがあったので、あらゆる事実に死の香りが附着していた。
その年の前後から僕はロックミュージックを意識的に聴くことはなくなってきた。彼ら2人が亡くなってから〝のめり込みかた〟が熱烈ではなくなってきたし、トランス(当時はゴアトランスと呼ばれていた)音楽に心を奪われていたからだ。
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96年7月から8月にかけて僕はアメリカの西海岸に行った。自分の中に存在するサブライムの在りかたを確認したかったというのは大げさだけれども、少なくとも外れてはない。
サブライムの音楽の向こう側には常に燦燦とした眩しい太陽があり、ビーチがあり、美味しいビールと気持ちの良いハイウエイがある。ロックへの情熱が失せても西海岸のベニスビーチやロングビーチに憧れを持ったのはサブライムの音楽があったからだ。ロングビーチでサブライムを聴いてみたい。それだけの影響力を彼らは持っていた。
ハンティントンやL.Aのいたるところのレコード店に彼らのアルバム「Sublime」は置いてあった。
レコード店の店員は僕がそのアルバムを持つと必ず「R.I.P Brad(ブラッドに捧げて)」と僕の肩をポンと叩いた。
やっぱしそのたびに悲しい気持ちになったけど、彼らが本当に西海岸のロックキッズに愛されていて、そして惜しまれている瞬間を感じることができた。
96年7月の終わり、ベニスビーチの入り口にあるゲストハウスにしばらくいた頃、僕がラジカセでフルボリュームにして「Sublime」を聴いてビールを飲んでいたら、イギリスから来た女の子が僕の部屋をノックして「私も一緒に聞いていい?」と僕に尋ねた。
少々面食らったけれど、サブライム好きに悪い奴はいないというのが僕の当時からの信条でもあるので、冷蔵庫に行ってよく冷えたバドを渡して乾杯をした。
彼女もブラッドの訃報から自分のなかで何かを失い、そしてこの西海岸まで来たという。西海岸には悪ノリにも近い陽気な側面があるけれど、センチメンタルな気持ちを想起させる場所でもある。
パームツリーに映る夕暮れは感傷的になるのに充分な存在だ。
なんにせよ、こういう出会いによくある物語がやっぱし僕らにもあって、結局僕らはサブライムをきっかけとして親密な関係にもなった。
彼らの音楽を聴いていると、アメリカも悪くないなと思うし、ロックもまんざらじゃないなと思う。
でも残念なことにブラッドリーはすでに亡くなっていて、サブライムは事実上、リーダーを失い空中分解し、エリック・ウィルソンとフロイト・"バド"・ゴウの二人は「ロング・ビーチ・ダブ・オールスターズ」を結成して、否応がなしに時は経過している。
40 Oz to Freedom(Sublime : Skunk Records)