主人公の時田秀美は高校生だが、私は、むしろ、この本を大人の方に読んでいただきたいと思う。
何故なら、私は、同時代性という言葉を信じていないからだ。
時代のまっただなかにいる者に、その時代を読み取ることは難しい。
叙情は常に遅れて来た客観視の中に存在するし、自分の内なる論理は過去の積み木の隙間に潜むものではないのだろうか。
私にとっての高校時代は、もう既に、はるか昔のことである。
そう自覚した時、初めて、私はこの小説を書き始めた。
同じように自覚した大人の方がこれを読んだ時、どのように感じるかを知りたいなぁと、私は、思う。
しかし、そう思いながらも、私の心は、ある時、高校生に戻る。
あの時と同じように、自分のつたなさを嫌悪したり、他愛のないことに感動したりする。
そんな時、進歩のない自分に驚くと共に、人には決して進歩しない領域があるものだと改めて思ったりする。
そこで気付くのだが、私はこの本で、決して進歩しない、そして、進歩しなくてもよい領域を書きたかったのだと思う。
大人になるとは、進歩することよりも、むしろ進歩させるべきでない領域を知ることだ。
山田詠美 『ぼくは勉強ができない』(小説家)