サイードは「オリエント(東洋)」という概念が、西洋が自らの幻想を投影して理想化したり、逆に見下したりすることによって、西洋の優越を確認する為に設定された「他者」であると、指摘しましたが、それはジャンルとしての”民族音楽”も全く同じで、さらに厄介なことには、”民族音楽”の一般化が進む近年、演奏する当事者までもが「私は”民族音楽”をやってます」という誇りにも似た意識を持ち始めてしまっている。
(中略)
能天気に”民族音楽”や”ワールドミュージック”に加担するくらいなら、音楽なんてやめたいくらいです。
我々現代の日本人がこの便利な”民族音楽”という言葉を軽く使うとき、それは西洋人のオリエンタリズムの視点を借りていることに他ならず、そうしたスキゾフレニアが僕らの環境や感覚を支配している、ということは自覚しておくべきだと思います。
山川冬樹(AlayaVijana ホーメイ)