ニューデリーを基点とする多くのバックパッカーが、この街(というよりはメインバザール)に滞在するので、これから西に向かう者、東に向かう者の交差点や旅の情報の交換のエリアになっている。
そして、5月から7月にかけて、ニューデリーでは日中の気温が摂氏50度近くにまで上昇して、夜の最低気温でも35度ぐらいになるという、地獄の釜でも覗いたような猛暑に見舞われる。
僕は運悪くタフな時期のニューデリーに滞在していたことがあって─ちなみにニューデリーという街は、旅人にとって、2日も滞在すれば十分な場所だ─、そのときは文字通り蜃気楼が見えかけた。
しかもネパールからの帰路。存在するもの全てが鬱陶しいニューデリーに僕は帰ってきた。
後にも先にも当時のニューデリーを超える暑い日というのは、僕の中では見当たらない。
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その日の気温は53度だった。
猛暑という表現を用いたが、果たして猛暑という言葉が適切なのか訝しいほどの暑さである。
いや、暑いのではない。正直、熱いのだ。炎熱地獄という感じ。
実際に、地獄だか天国に誘われちゃう輩もいて、まずこの時間に歩くのは自殺行為に等しい。
インド人ですら熱中症でパタパタと死んでいったりしている。
僕はクソ重たいバックパックを背負って歩いたわけだけれども、やはり瞬時に眩暈が訪れて、軽く死に掛けた。
歩く際、最初にしたことは、時計とピアスと指輪を外すことであった。
そうしないと必ず金属の部分で火傷をするからだ。
そして足元に気をつけること。
足元の地面がアスファルトである場合は、太陽光線で溶け始めている。
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目当ての安宿に辿り着くまでに、ニューデリー駅の目の前がメインバザールであるのも関わらず、2回ほどチャイ屋で休憩をした。
太陽が一番真上にある昼ごろは、さすがのインド人も道を歩かないようにしている。
牛も木陰を見つけてしゃがんでしまっている。
駅を降りた瞬間に吹きつける熱風。
あまりのも熱風に包まれると人間という生き物は鳥肌が立つんだと知った。
チャイを飲んで日陰で休んでも頭がガンガンする。熱射で痛いのである。
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さて、目当ての宿に着き、荷物を置くと、隣接している水シャワーの蛇口を捻ってお湯を出し切った。
温泉のようなお湯が出てきた。
もちろん給湯器ではない。本来なら水が出るはずである。
そしてそのあとにバケツに水を汲んでベットに掛けた。
水が気化するので、その冷却効果を狙って行動をするのだ。
夜に寝る時も同じだ。
寝る前に水浴びし、必ず拭かないで寝る。
そうしないと一生睡眠にはありつけない。
水でびしょ濡れになったベッドからはシュウシュウと不気味な音が鳴っている。
部屋は薄い霧に包まれて、快適に程遠いとはいえ、少しは落ち着ける。
気温にして40度くらいだ。
翌日にはベッドがカラカラに乾いている。ベランダに干したタオルも半夜で乾く。
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50度を超えるニューデリーで旅をするには、昼間はなるべくじっとしてゲストハウスに居ることを心掛けることだ。
存在しているだけで体力を消耗する。
だからどれだけ暑かろうが、気を失うように夜は眠ることになる。
たまに無謀にも外に出ようとしたら「無茶するな」と宿の親父に制止された。
宿の親父も困ったように笑うだけだ。
日没になり、真っ赤な太陽が沈みかけた時に、ようやく動ける。
インド人も牛も、夜になってから、モソモソと何処かに向かうのだ。
こんな風にして僕はバンコクに向かう飛行機を待つ数日間、幾度目とも分からない(でも今回が一番タフな)ニューデリーの日々を過ごした。