・開高健「地球はグラスのふちを回る」
僕が持っている『地球はグラスのふちを回る』は、書籍のカバーがされていない。94年頃の名残だ。
当時、僕自身のルールで、旅に持ち歩く書籍は何故かカバーを外すというのがあった。
旅に持っていった書籍のほとんどが、旅先で交換したり、古本屋に売ってしまってお金にしているのだけれど、この本だけは、ページを綴るごとに展開される面白さに圧倒されて、手放すことがなかった。だから僕の本棚に並ぶこの本には、いまでもカバーがない。
何度も繰り返し旅先で読んでいたので、手垢で薄汚れて、よれよれになっていて、インドやネパールの染みが宿命的にこびりついているのだ。でもこれからも決して手放すことはないだろう。
題名にもある「地球はグラスのふちを回る」は、世界中で飲んだ珍酒・奇酒そして名酒を追想する出だしで始まる。
なんともお洒落な題名じゃないか。
嘘か真か、中国の五つ星ブランデー、サイゴンで飲んだとぼけた味わいの333(バー・バー・バー)、ウィーンの白ぶどう酒。お酒が飲めない人でも読み終えたらきっと一杯引っ掛けたくなる。
そして続いて、冬の越前カニの美味しさについて語るエッセイや、小笠原で食べる鰹の手ごねご飯を頬張るエッセイといったグルメ話、そして「漂えど沈まず」と表したニューヨークの旅物語。
開高健のエッセイの真骨頂とも言えるグルメとお酒と旅の話で、ユーモアに溢れた珠玉の一冊である。開高健の旅や食への飽くなき探求が手に取るように愉しめる。
ところで、開高エッセイは、得てして魚への描写が詳細に及んでいるので(ニューヨークのエッセイに登場する〝ハマグリのスープ〟や〝生牡蠣〟の文章、嗚呼)、旅先の日本食に飢えた状態で読むと非常に危険な本だ。
でもそのあたりが、決してテレビや写真には持ち得ない文章の持つ魅力で、読者自身が勝手に思い思い自分の食べたい生牡蠣やらハマグリのスープを想像できる。
日本から遠いヒマラヤの麓での生活やインドのビーチでの生活では、「日本に帰ったら、絶対、死ぬほど旨い魚を食ってやる!」と日本が恋しくなると読み返して、一人、うな垂れては昂奮していた。
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さて、こちらの写真はタイのチャン島(Koh Chang)での一枚。
http://psybaba.net/blog/archives/2005/10/post_101.html
まだ未開発だった90年代初頭、島に点在するバンガローで生活していた。
打ち上げられた魚を焼いて食べたり、椰子の実を拾って、中身をジュースにして飲んでの生活。
ジョビ(犬)は灯りのあるバンガローを見つけると、其処を安眠の場所としてなついてくる。
周りにはヒッピーしかいなかった。
で、僕が手にしているのが、開高健の『地球はグラスのふちを回る』だ。
本のカバーを捨てる習慣があった当時の貴重な一枚。
時代の流れか、我が家にある書籍でカバーがない頃の書籍というと、人にあげてしまったりゲストハウスで交換したりしてしまい、とうとう村上龍と開高健だけになってしまった。