バンコックにある東南アジア最大の歓楽街のパッポンで私が羽振りを利かせていたのは95年頃で、詳細については触れないことを前提に書くと、私は日本で用済みになった電子機器を日本より南の諸国に闇で流すことによって、学生では稼ぐことの出来ないであろう大量のドルを手に入れ、それを旅の資金にしていた。
もちろんその為に、私は複数の名前を持ち合わせ、生き永らえるためにその場その場で使い分けていた。
別に本名で通すことも可能だったが、そうしたいとは思ったことがなかった。
アジアという地域は魑魅魍魎がウヨウヨといて、混沌としているので、私は私ではない誰かとしてアジアでビジネスを営むことを強く望んだ。
生命の危機に曝されるような事態が起きるとは到底思えなかったけど、変名で通すことにより、私は安心を手に入れた。
安心というものには、カオサン通りの遺体安置所みたいなゲストハウスで、夜中に悪夢で目が覚め、嫌な汗を掻かずに済むという他の何物にも変えられない効能がある。
だから私は快楽の次ぐらいに安心という言葉が持つ独特の作用が大好きだ。
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パッポンとタニヤの中間地点にあるクラブでパーティがあった翌日に、「パスポートを取りに行くからパスポート局まで付き合って」と言ってきたのは、私のゲストハウスに泊まったウェイミーだった。
シンハビアとメコンウィスキを散々飲んだおかげで、脳味噌にダニでも沸いたかと思うぐらいの宿酔いに悩まされる羽目になった私を揺さぶり起こした地獄の番人である。
おまけにその夜はトランスのパーティがあったのだ。まだバンコックではトランス音楽は馴染みがなかった。
そう、パッポンに点在するクラブでは、トランス音楽がまだポピュラーじゃなくて、変わりにヒップホップ音楽が圧倒的に人気を博していた。
トランスは、ゴアやコ・パンガンで知り合いになった連中が、機材と音源を持ち込んで時たまパーティをする程度だ。
だからその夜はネジの緩まった扇風機みたいにはしゃいだ。
そんな朝の目覚めだ。想像ができるだろう。
そして信じられないかもしれないけれど、コ・パンガンはその頃まだそこそこ楽しめたのだ。
椰子の木と小さな小屋があって、満月になるとパーティをする島。
楽園だった。
私達は何も勘ぐることがなくビーチライフを楽しむことが出来た。
しかし、それから僅か2年足らずでコ・サムイと同じくらいに醜悪なリゾート地に変貌を遂げ、壊滅の道を辿る。まあ、それは今回の物語とはあまり関係のない部分だ。
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枕もとの時計を見るとまだ10時である。私がゲストハウスに戻ったのは明け方の4時だ。
どうしてそっとしておけないのだろうか。少なくとも3時間はそっとしておいてほしい。
眠たい上に頭が地割れを起こして砕けそうな私は思わず英語で悪態をついた。
ここではとても書きようがない不健全な言葉だ。
でも私のしたたかな努力は認められず、ウェイミーは大して英語が理解できない子だったために、自分の黒い髪の毛でも褒められたのねという素振りしか見せなかった。
私がどれだけ酷い悪態を突こうが突かなかろうが、蓮の上で戯れるブッダのように、ただ微笑むウェイミーを見て、私は次第に悪態を突くのを止めた。
きっと槍が降ろうが震災が起きようが、今日はパスポート局に行かなくてはならない。
そういえばおぼろげな記憶を探れば、そんな約束をしたような気さえする。
私はあまり有利ではない立場におかれているようだ。
たしかな予感がそこにあった。
やれやれ。
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ウェイミーに引き出しからアスピリンを出してくれるようお願いした。
「ウェイミー、今の俺の脳味噌は豚の王様が頭蓋骨の裏で屁をかましているみたいに頭痛がするんだ。カオサンで買った痛み止めがあるからそれを取ってくれないか」
そして、砕いて飲み、水シャワーを浴びることにした。
ウェイミーは私のタイパンツを脱いで何やらブツブツといっているようだったが、私には構ってられなかった。
ウェイミーの苦情を聞き入れるほどの余裕が今の私には無い。
きっと穏やかな寝起きを本日迎えられなかったからなのだろう。
いつもの私ならきっと耳を傾けてあげたはずだ。私はそういうタイプの性格である。
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さて、ウェイミーについて話すと、ウェイミーはバンコックに居住している20歳そこそこのタイの女の子だ。
私がベロベロになって手先も痺れて、嗚呼、いよいよこれまでか俺の人生とパッポンの路上で意識を失いかけた夜に、身も知らない日本人を解放してくれた慈悲深い天使でもある。
いつかバンコックで店を構えたいとかそんな夢を持ち合わせていた。
そして彼女にはシンガポール人のパトロンが居た。
そいつとシンガポールに行くからパスポートを取得するのだ。
大層なご身分である。一度だけ、そのパトロンはどういう奴なのか興味本位に聞いたことがある。
ウェイミーはちょっと考えて「銀行に勤めている35歳の中華系の男で、死ぬほど金持ちで、間抜けな山羊みたいな顔をしていてるくせに、私にぞっこん」と説明した。
私はどんな間抜けなのだろう?しばらく考えてみたけれど、いまだにいい答えが見つからない。
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パスポート局はタクシーで飛ばしても結構な場所にあった。
親切な私はタクシー代を出してやった。
私は何て優しい気心の知れた男なのだろう。
そこらへんの男が宿酔いだったら、こうもいかない。
彼女がタイ人だからではない。私のポリシーだ。
ウェイミーが何日も私の食事代を出す時があった。だからいいのだ。
私は自分自身に満足した。
タイ人の女性で、しかもパッポンの道ばたで知り合ったのだから、何かを要求された時点で私は手を引く覚悟を常にしていた。
だいたいはプライドの問題だ。
私が彼女にとって財布に見えるようであったら、それは潮時ってやつだろう。
お金を失うのは痛くはない。
しかしプライドというのは計り知れない。
そいつは目に見えないのだ。
でもたしかに存在する。
私はそういうものを失うことを恐れていた。
みんなはどうだろう?そういう風に考えたことはあるだろうか。
いずれにせよ、ウェイミーは私から何かを要求することはなかった。
良い関係だ。
そしてパスポートは無事に申請が出来た。
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シンガポールに行くという前夜、私達はもう一度会った。
ウェイミーは出来上がった真新しいパスポートを見せてくれて、パスポート局の帰りに、私がタクシーを無理やり止めさせてパイナップル畑の横で吐いたことを一年前の出来事のように懐かしく話した。
私もその出来事がなんだか懐かしかった。
私はバンコックを一度出て、コ・タオ、コ・チャンを周り、ホワヒンで静養していたので、ことさら昔の出来事のように思えたのだ。
ウェイミーは相変わらずブッダのように微笑んでいた。
シンガポールへ行ったウェイミーにはそれから一度も会っていない。